側室を持たぬ戦国武将の一途な愛♡6選

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戦国時代は、側室は当たり前。複数の女性を愛する武将は多くいました。現代の価値観からはなかなか理解しづらい部分もありますが、当時は跡取りがいないと一族全員路頭に迷うこともあるので側室を作ることは常識でした。
そんな中、一人の女性だけを愛して側室を持たない愛妻家な武将もいました。

後世にのろけの手紙が残っている毛利元就

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毛利元就は、戦国史でも乗っ取りなど有数の謀略家として少し陰湿なイメージがありますが、その裏には戦国屈指の愛妻家武将でもあります。
元就自身、正妻が存命の時は側室を一人も取りませんでした。そんな元就の逸話の一部を紹介します。

・正妻・妙玖が亡くなった後、3日間部屋に引きこもり嘆き続け、隠居したいと言い出して息子を困らせる。

・息子宛の手紙に、「妙玖(奥さんの名前)がいてくれたらなー」とぼやく。

・「(死後)今になって、恋しい」とか「偲ばれてならない」という語録が残っている。

筆まめな元就は、その手紙の中に何度も正妻・妙玖の名前を出します。亡くなってからは、まるで口癖のように手紙の最後に「あいつがいればこうはならないのにな。会いたいな」と繰り返す姿に、息子もうんざりしているという手紙を残しているほどです。

毛利元就DNAはすごい側室を持たなかった毛利3兄弟

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側室を持たなかった元就の3人の息子も生涯側室を持ちませんでした。当時は、後継ぎ問題があるのでこれは、毛利家の教育方針の賜物と言えます。息子たちの愛妻逸話をいっきに紹介します。

超ネガティブ武将で有名な毛利隆元。そんな彼は、戦場から妻や子供宛に手紙を送っています。その一部を紹介します。

「(娘が元気だと聞いて)元気が何よりです。これからもしっかり育ててあげてください。」
「(長男・輝元に対して)お母さんの言う事をちゃんと聞いて、あんまり遠くに遊びにいかないようにしなさい。」

ココだけ見ると、戦国武将とは思えないいいお父さんです。

毛利3兄弟次男の吉川元春。彼の奥さんは、世間では不細工として有名で嫁の貰い手はいないといわれていました。
その時、不細工でもしっかり教養のある女性だから結婚したいと言い出したのが次男元春です。

そして、周りが側室を進める中、その不細工と言われたお嫁さんだけを愛し続けて側室を取りませんでした。

上司は裏切っても妻は裏切らなかった愛妻家・明智光秀

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本能寺の変で有名な明智光秀。この武将も側室は持ちませんでした。それにはこんな逸話があります。

困窮する生活の中、連歌会を催すもお金がなかった時に、煕子は自分の黒髪を売ってそのお金で席を設けて、光秀を助けたというものです。

光秀はこれに感謝して、煕子存命中は側室を置かずに大切にしたとか、その他にも、病気で顔がただれてしまい、代わりに瓜二つの妹を煕子と偽って嫁がせようとしたところ、光秀はそれを見破り、煕子を妻として迎えたという逸話もあります。

こちらは、後世の創作といわれていますが、そんな素敵な創作が作られるほど、この夫婦はお互いを信じあっていたようです。

離縁する妻に代々のお守りを渡す北条氏直

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氏直の妻は家康の娘・督姫でした。小田原落城のために彼らは政略的に離縁することになります。最後の夫婦別離のとき、氏直は『高祖の御守』といって、当家代々の宝を督姫に渡しました。

督姫は別れた夫の復帰を信じ、お守りを肌身離さず持ち続け、数々の縁談を断ったそうです。実は、この逸話には続きがあります。

北条氏直の死後、秀吉の命により池田輝政と再婚することになった督姫は、あのお守りを持って氏直の叔父の狭山城主・北条氏規に「これは北条のお守りだから北条家嫡流が持つべき物です。北条をお願いします」といって返したそうです。

死後もつながり続けた夫婦の愛には泣いてしまいます。

年上未亡人の幼馴染を妻にした直江兼続

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2009年の大河ドラマ「天地人」で人気になった直江兼続は実は婿入りでした。実兼続が愛する「お船」という女性は、初婚の夫を亡くして所謂未亡人でした。
そんなお船に、兼続は婿に入る際、「側室は持ちませぬ」と約束したそうです。

実は、この夫婦にはもう一つ裏話があります。実は、兼続はお船より三つ年下の幼友達でした。
憧れていたお姉さんが結婚して、未亡人になりその人と結ばれるなんて、まるでドラマのようですね。

内助の功で有名な山内一豊

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秀吉の没後、権力争いの動きが見え始め、再び戦乱の世へと傾いていました。一豊は早くから家康に対して忠誠を見せていました。

関ヶ原の戦の前には、大阪にいる千代は、石田三成の監視下に置かれながらも夫・一豊に豊臣側の情報を送りました。一豊は千代から自分はどうなってもいいから、家康に忠義をつくしなさいという内容の密書を受け取ります。

千代はその密書を開封せずに家康に渡す事を言付けます。一豊はその千代の言葉通り、開封することなく家康に密書を渡し、自分の忠義を示したのです。

この二つの逸話は有名で、千代の内助の功によって出世できたとも言われる所以です。

キリシタン大名の黒田孝高はLOVEが理解できる男だった!?

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黒田孝高は当時では珍しいキリシタン大名でした。キリシタンでは、「生涯愛する女性は一人であれ」とされています。

ですが、実は黒田孝高がキリシタンになる16年前に結婚していて、その間側室を持っていません。現在の日本では愛する人は一人だけというのは普通の感覚ですが、その意識がしっかりと根付いたのは開国後でした。

キリストの教えを知る前からそれを実践していた黒田孝高は、意外と現代人と同じような恋愛観を持っていたかもしれません。

いかがでしたか?
教科書の歴史の中では、卑怯や裏切り者と呼ばれていたような戦国武将が、意外と奥さんには一途なのに驚きました。

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